見える化と見せる化と可視化
id:mame_n さんが、[id:mame_n:20080113]で、
上長から「見せる化しろ」と言われ、何かとっても違和感があった
とおっしゃっている。
私自身、現場の見える化にかかわることが多いのだが、
- 「見える化しろ」という上長
- 「やらされ感」のつよいメンバ
という構図はよく見られる。
上長は、
- 「上長による管理」のために必要な情報を掲示しろ。
メンバは、
- より強力な指示命令を受けたくないがための隠蔽。(隠蔽というほど積極的な秘匿ではないが)
ということらしい。
利害を一にしない人と人たちの間に目的の異なる物体を置こうとしても衝突がおきるだけだ。衝突によってその不一致を浮かびあがらせることが目的ならばよいのだけれど。
又聞きなので真偽は確かでないのだが、そもそもトヨタ系では当初「見せる化」と言っていたらしい。管理上位への見せる化。しかし、見せる化していた現場の(管理者・監督者が含まれるかどうかは分からないのだけれど)人たちが、
せっかく貼り出しているのに「見せる化」だけではつまらない。
どうせだったら自分たちのための情報を自分たちのために見えるようにしよう。
とはじまり「見える化」と呼ぶようになった。らしい。
でも見える化は双方向のインタラクティブな部分が多分に入る行為で、見せる化は見せることの一方向なんだとして納得することにした。
とid:mame_n さんのおっしゃっていることと同じなのかなとおもった。
ところで、「可視化」ということばもよく聞くのだけれど、なんだかただ集めたデータを図表化グラフ化しただけのとどう違うのかな?と思ってしまう。
「見える化」といった場合、なにを見えるようにするかといえば、異常しかありえない。
メンバ自身が自分たちで自分たちを管理するための自律管理のための目で見える管理。そのための「見える化」には、異常を見えるようにするほかありえない。
不良や遅延といった問題には至らないけれど、その兆候あるいはいつもと違うことそれが異常。異常を異常として見えるようにするためには、正常が定まっていなければならない。その正常な状態が標準。チャレンジとカイゼンのベースラインとしての標準。
メンバ自身が自ら定め、自ら変更し続ける標準との差が異常。
異常を「見える化」するのであれば、決して一方通行の見える化にはならない。
「見える化」はメンバ自身が自分たちで定めた標準と自分たちの実態をはかり、その差を異常として認識するためのものだ。
そして、見える化の目的は、見えた異常から行動を生み出すことだ。行動を生み出すために異常を積極的に生み出すのだ。