見える化と見せる化と可視化その2

先に、同タイトルで書いたのだけれど、「見せる化」ということばが気になってしまい、ちょっとググッテ見た。

あぁ、そう誤解されているのか。
見える化と可視化が同一視されている。

見える化=可視化
見える化(すなわち可視化)だけでは何も生まれない。
『相手に』見せて、hogehogeする。させる。

が、要旨。

大野耐一さんは、日本語でもってアンドンとかかんばんとかムダとかカイゼンとかの用語をつくった理由を欧米人に分かりにくくするため、とおっしゃっていたと思うのだけれど、日本人にも誤解があたえられている…。

見える化は単なる図表化/グラフ化といった可視化とは違う。気づかなかった視点や切り口で情報を分析し可視状態にすることは重要だけれどそれは見える化とは別の話。
自ら設定した標準(=正常)との差異を見えるようにすることが重要。

見える化とは、現場のメンバ自分たちが設定した標準(=正常)との差異(=異常)を見えるようにするもの。その異常に対する行動を現場のメンバが起こすことが見える化の目的。そしてその行動こそがカイゼンなのだ。

誰かに見せ付けて、何かをしてもらうためのものではない。

単なる可視化を見える化と誤解すれば、見せる化ということばが生まれても仕方ないが、単なる可視化を見える化などいうダサダサの日本語を命名する訳がないと察しがつきそうなものなのだが…。